上田麗奈デビューミニアルバム「RefRain」が超意識高い系だった
アニソンや声優ソングってのは「かわいい」「元気が出る」感じを基本にしている。アッパー系が多いのだ。
そんななか、ダウナー系の曲で統一された上田麗奈のソロデビューミニアルバムが発売された。
上田麗奈 / Debut Mini Album「RefRain」試聴動画
だいたい上田麗奈自体が、こういっちゃ悪いなと思うけども地味なイメージが捨てきれない。よく名前は聞くけども、それほど印象に残るような声でもないので、ウィキペディアを見て、ああ、この役が上田麗奈だったんだな、とあとから知る「ああ、あれね」系の声優だ。
これってソロでCD出すには結構なハードルじゃないだろうか?
ソロでCDが出る声優は、歌のうまさ以前に声優としてのオンリーワンさが重要になってくる。東山奈央にせよ、早見沙織にせよ、よほど特殊な演技をしない限りキャラが声を発した瞬間「ああ、また東山奈央だ」「早見沙織だ」って分かる。すぐ分かるので必然的に知名度は高くなる。そして、90年代J-POP全盛期、同じ曲を何度もテレビでガンガン聞かされた挙句、刷り込み効果で思わずCD買ってしまう現象と同じように、声優ソロCDにも需要が生まれるのだ。どういうことか? CDは、知っているから買うのだ。 声優としての魅力を知っているから、我々は声優ソロCDを買うのである。
そういう意味では、上田麗奈のソロデビューというのはまったく需要が読めない。
知っているから買う系では明らかにないのだ。
そんなわけで、なぜ出したのか謎が多いのだけども、仕上がりも謎が多い。
冒頭貼った試聴動画を聴けば分かるが、すごく歌がうまい。
あなたも思ったかもしれないが、節回しの特徴が坂本真綾っぽい。
え? こんな歌上手い人だったのか? と私は上田麗奈のウィキペディアを引く。今まで未チェックだったキャラソンをようつべでたどる。
ハナヤマタ音楽集「華鳴音女」 - Shining glow - Track 03
聞いてみると、案外普通なのだ。坂本真綾っぽい癖が抜けているので、特徴がない感じに落ち着いている。
キャラソンの場合、器用な声優は節回しや声の出し方をキャラに合わせて意識的に変えられるので、これもキャラ感重視で歌としては逆に無個性になってしまっているのだろう。ハナヤマタ以外のキャラソンも同様で、声優での役柄同様、無個性な感じは否めなかった。
話をミニアルバムに戻す。
そんなわけで、キャラの縛りから抜け出した上田麗奈は、このミニアルバムで本来の歌唱力をいかんなく発揮する。
その歌のうまさが第一の特徴。
そしてこのミニアルバムの第二の特徴は、とにかく楽曲がダウナー系なのだ。
アンダーカレント感というか、ゆっくりと静かに水底に沈んでいくような意識高い系の楽曲が多い。楽曲提供は佐藤純一 (fhana)、田中秀和 (MONACA)、TECHNOBOYS PULCRAFT GREEN-FUNDなどで、わりと節操なく多方面の才能を投下している。しかし、全体的に非常にコントロールされた統一感がある。いろんなミュージシャンに楽曲提供してもらって闇鍋みたいな声優CDって割とあるので、きちんと味の整った寄せ鍋になっているところにも意識の高さがにじみ出ている。
この楽曲の統一感、寄せ鍋感がすごくいいのだ。上田麗奈の歌の巧さとのバランスもよく、ダウナー系でありながら繰り返し聞かせる魅力がある仕上がりになっている。繰り返し聴いても飽きにくい耐性のある楽曲なので、オススメ。
問題は、値段も意識高い感じになっていることだ。
6曲入りミニアルバムで税込み2700円はちょっと・・いやかなり高い・・・
どういう勝算でこの価格設定にしたのか謎なのだけども、たぶん製作に金かかっちゃったんじゃないのかなと・・・
つーことで、とくにCDという形態にこだわりなければiTunesで買ったほうがいいです。ちなみにiTunesで1曲ずつ買ってもアルバムまとめ買いしてもトータル価格が変わらない強気設定・・
ともかく、すべてが謎なのだ。
楽曲のクオリティの高さ。その統一感。上田麗奈の謎歌唱力。そして謎価格設定。
しかし、こういう挑戦は今後も続けてほしいのでできれば売れて欲しいなと思う。
歌が上手くなっていくパターン、雨宮天
歌が下手な声優と歌が上手い声優について、花澤香菜と早見沙織を例にふたつの記事で語ったが、今回は歌が上手くなっていくパターンについてご紹介したい。
雨宮天だ。
雨宮天が主役級の役をゲットしてブレイクし始めた2014年、一週間フレンズ。のEDを主役のキャラソンとして歌った。スキマスイッチの奏のカバーだ。
声がかわいい。
だけど、一本調子で表現が浅い。上手いか下手かでいうと、下手だ。
wikipediaを引くと分かるのだけど、2014年ごろからブレイクし始めた雨宮天は、猛烈にキャラソンをリリースしている。TrySailという声優ユニットを含めると、最近の若手声優の中ではピカイチのリリース数だと思われる。
さらに今年の9月にはソロアルバムをリリースした。
正直全部のキャラソンは追えてなかったので、雨宮天って、奏歌ってたときは下手だったよなという印象しかなかった。
ところが、このソロアルバムを聴いて驚いた。
歌が上手くなっているのだ。びっくりするくらい。
発声方法、ビブラートのかけ方などまるで別人みたいな歌になっている。
最初の奏と聴き比べてほしい。
ただ、どうもこの上手さって、単にボイトレ頑張った上手さに聞こえません?
80年台アイドルの、しっかりボイトレを受けてたアイドルってみんなこんな感じの歌い方だった。歌がうまくなることと引き換えに個性を捨ててしまったようにも感じるのだ。
これまで何回か述べたように、歌が上手いことが決してプラスにはならないのが、声優ソングの奥深さだと思うのだ。
しかし、キャラソンの場合、キャラ性を考慮した歌い分けが往々にして要求される。できない声優も多いが、雨宮天の場合は、きちんと歌い分けしている。
同じく今年リリースされた、この素晴らしい世界に祝福を!のキャラソンを聴いてみよう。
ノンビブラートで地声に近い発声で歌っている。
アクアのバカ素直な感じが表現されている。
時期的にはソロアルバムのリリースと重なるので、ボイトレの結果上手く歌えるようになっているはずなのに、わざと下手くそに歌っているのだ。
さて、どうだろう?
音楽としての完成度として考えるなら、確かなテクニックで歌い上げるソロアルバムの曲のほうがいいのだろう。
でも雨宮天としての魅力は、このすばのアクアのキャラソンの方に軍配があがるような気がしてならない。
私の場合、聴いていて楽しいのは確実に後者だ。
なお、このすばのキャラソンは、ダクネスの歌も素晴らしいのでアニメのファンなら買っても損はしないと思います。おすすめ。
TVアニメ『この素晴らしい世界に祝福を! 』キャラクターソングアルバム「唄う我らに臨時報酬を! 」
- アーティスト: V.A.
- 出版社/メーカー: 日本コロムビア
- 発売日: 2016/03/09
- メディア: CD
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早見沙織は歌が上手い
そう、早見沙織は歌がうまい。
神のみぞ知るセカイの中川かのん(cv.東山奈央)ライブでゲスト参加したときの映像。 2012年の映像なので、今よりも顔がパンパン。ライブそのものも不慣れだろうに(お母さんが見に来てることをツッコまれていた)ここまで堂々と歌えるのはすごい。
表現力もあるし、ざーさんとは一線を画する歌のうまさだ。
さて、東山奈央と並んで、歌える声優としてけっこうなキャラソンを出している早見沙織だが、今年の5月にソロアルバムが発売になった。
「Live Love Laugh」<CD+Blu-ray盤>
- アーティスト: 早見沙織
- 出版社/メーカー: ワーナー・ホーム・ビデオ
- 発売日: 2016/05/25
- メディア: CD
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このアルバム、歌うまいし、楽曲もアーティスティックな曲が並んでいる。
だったらいいじゃない? と思うかもしれないけど、自分は妙な居心地の悪さというか、違和感を覚えるのだ。
早見沙織らしいイノセントさも出ているし、楽曲もいい。
これ以上ないのに、なにかが物足りなく感じるのだ。
冒頭にあげた東山奈央のライブ盤のCDや、エルシィ役の伊藤かな恵と一緒に出している神知るのキャラソンのCDでは、早見沙織の歌だけ抜き出してプレイリスト作って聴きこむほど好きなのに、この待望のソロアルバムがどうもすきになれない。
早見沙織名義のソロアルバムだけに、そこになんのキャラも乗っかっていないのが、原因なのかもしれいない、と気づいた。
なまじ歌が上手いだけに、強烈な早見沙織の個性を感じてしまう。
そこにあるのは、アニメキャラにのっかった2.5次元の声優ではなく、リアルな、人間としての早見沙織だ。
歌が上手いのがどうもよくないのだ。
神知るのハクアとしての早見沙織、俺ガイルの雪ノ下雪乃としての早見沙織、そうした場合のキャラソンは、キャラに引きずられて、歌がうまくてもあまりリアルな人間味を感じさせない。歌が上手いキャラクターの曲として、頭が理解する。
しかし、なんのキャラ付けもされてない、素の早見沙織として歌を出されると、歌の巧さが解像度の高すぎる写真みたいに、リアルさを浮き上がらせてしまう。
歌が上手いからと、変にアーティスティックな曲を揃えているのも実は失敗なんじゃないかと思う。もう少しアニソンっぽい俗さというか、そういう味付けが必要だったと思う。
リアルで何が悪いのかと思われる方もいるだろう。
別に悪くはないのだ。現実の早見沙織だって、ちょっとヒラメ顔だけど愛嬌があってかわいい。アイドルには負けるかもだけど、声の素晴らしさは何にも負けない。
でも、3次元は、声優でないもの――それこそアイドルであったり、普通のアーチストであったり――の牙城なのだ。声優がそこで勝負する意味が本当にあるだろうか。
声優はあくまで2.5次元にとどまっているべきなのだ。
その点で言うと、花澤香菜は、なんのキャラ付けもないソロアルバムで、ニューヨーク録音した意識高い系楽曲を歌わせても全然リアルさを感じない。
これは実はすごいことなんじゃないかと思う。
歌が下手であるがゆえに、2.5次元の存在を保っていられる。歌の下手さが逆に強みになっているのだ。
しかし、たまに歌が下手すぎてどうしたって合わない楽曲に巡り合うときもある。
だから、歌が上手いに越したことはないのだ。
2.5次元の存在のまま、声優として楽曲を歌いこなせるポテンシャルは早見沙織にあると思う。
今後の活躍に期待したい。
以下の神知るの2枚のキャラソン集はおすすめ!
- アーティスト: 駆け魂隊 starring 伊藤かな恵&早見沙織
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- 発売日: 2011/09/21
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- アーティスト: 駆け魂隊 starring 伊藤かな恵&早見沙織 with 豊口めぐみ
- 出版社/メーカー: ジェネオン・ユニバーサル
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萌えラウンジの系譜
「萌えラウンジ」というのは、フランスのおしゃれDJかつアニヲタという両極端な属性をもったディミトリ・フロム・パリが『月詠(つきよみ)-MOON PHASE-』のOP曲を提供した際に、ネコミミとクラブ・シーンを融合した“萌えラウンジ”なるジャンルを切り開くナンバーと、たぶんシャレのつもりで言ったコメントから生まれた言葉だ。
ラウンジ楽曲にサンプリングされた声優セリフというようなコンセプト。
一発ギャグみたいなジャンルだけど、たまに後続があらわれる。
neko mimi modeでは、セリフオンリーで頭から終わりまで押し通したが、日本人が作るとサビで歌が入ってしまう。こっちのほうが日本人受けがいい。
サンプリングというよりは、普通にざーさんがセリフ含め通しで歌ってしまっているし、全体的に意味の通る歌詞になっている。
この辺はよしあしで、意味の通る歌詞になったほうがわかりやすさは増すけども、意味のないセリフの羅列のほうが純粋に声優の声そのものが味わえるのだ。
今年発売されたあんハピ♪のはなこ(CV:花守ゆみり)のキャラソンでは、しっかりとサンプリング芸が取り入れられていて、原点回帰を感じた。
間奏部分がサンプリング芸。ほぼ意味のないリアクション声がリズミカルに刻まれる。それにしても花守ゆみりの表現力の深さが冴える。こんな意味のない声のバリエーションの豊富さと、表情の豊かさに驚くばかりだ。あと声かわいい。
この曲を聴いて、花守ゆみりにハマった私は、魔法少女育成計画の放送前、サイトのキャラ一覧に花守ゆみりの名前を確認して、大興奮した。
ただ、声優目当てでアニメを見始めるのもではない。
そう、花守ゆみりのキャラ、ねむりんは一番最初に死んでしまったのだ。
かなしかった。
花澤香菜は歌が下手
花澤香菜は歌が下手だ。
0:57あたりからの「マダダーレモー」に注目
ヽ(・ω・)/ズコー
そう、花澤香菜は歌が下手なのだ。
しかしなにひとつ恥じることはない、歌が下手だからこそかわいいのだ。
逆に上手くなったらあかんのだ。
花澤香菜は歌が下手。
それを長所として一番理解していたのは、化物語シリーズで撫子のOPを作曲した神前暁だろう。
世間的に評価が高いのは「恋愛サーキュレーション」だろうが、わたしは「もうそう☆えくすぷれす」を推したい。
とくに試聴の冒頭にある「めんどくさいな」の「さ」の表現力の恐ろしさにひたすら感服する。かわいさの裏返しの怖さを余すとこなく表現している。これはアニメで撫子の立ち位置が変化していることとリンクしているのだが、そこまで見越してこの曲を作っているとなるとまさにアニソンのお手本だ。かくありたい。
また花澤香菜は、アニメキャラとしての歌だけでなく、ソロとして3作のフルアルバムを発表している。いずれもラウンドテーブルの北川勝利を核として制作されているが、とびぬけて3枚目の「Blue Avenue」の完成度が高い。
なんとなくそこそこ歌上手いふうに聞こえてしまうのが恐ろしいところだ。
これは、北川さんの手腕であるところが大きいと思われる。
花澤香菜のソロとしての戦略は、主に渋谷系アーチストを招いて質の高い楽曲を提供することで、財布の紐のゆるいおっさんどものハートを鷲掴みすることにあると思われる。
これは成功を収めているのだろう。
でなければ、Blue Avenueでわざわざニューヨークまで行ってレコーディングなんかしないだろう。金がかけられるということは、売れているのだ。
そして我々おっさんどもから巻き上げた札びらで、最新シングルではついに秦基博に曲を書かせてしまった。
一聴して秦基博だなあ、と分かるバラード。
だけど……
歌へたじゃないっすか?
いや知ってたけど
これは、ただ下手なだけだ。
神前暁も北川勝利も数多くのアニソンを手がけてきた経験があり、決して歌がうまくない声優の使い所をよくわかってるのだ。
それは、秦基博が歌えば名曲になったろうが、花澤香菜が歌うと「秦基博が歌えば名曲」という予感があるだけに、冒頭の「マダダーレモー」の再来を感じてしまう。
歌がうまくなったらあかんけど、下手のままでもあかんのだ。
しかし、我々はもうすでに神前暁や北川勝利楽曲での花澤楽曲の良さを知っている。
これは、ただ下手なだけの花澤楽曲を愛せるかという、我々のファン力が試されているのだ。
できれば、これ以上試されたくない。
わたしは、下手かわいい花澤香菜を、愛したいのだ。
Blue Avenueにも収録されてますが、↑のやくしまるえつこ提供楽曲はよかったです。DVDのざーさんもかわいいのでDVD付きおすすめ。
80年代テクノポップ風アニソン
80年代リバイバルがきているのかもしれない。
先日Mステを見ていたら、サカナクションが「80年代を意識した」といってYMO風のメイクで演奏していた。
聴き飽きて捨てられたはずのシモンズのエレドラがポコポコ鳴っていた。
ついに80年代リバイバルが来てしまった。
アニソンにも80年代風楽曲はたまにふっと現れる。
のっけからアニソンじゃなくて恐縮であるが、パズルゲーム『ことばのパズル もじぴったん』の楽曲、「ふたりのもじぴったん」が界隈で意識的に80年代風楽曲を作った最初期の作品ではないだろうか。
こちらで無料ダウンロードできる。中田ヤスタカ版ではなく、オリジナルを聴いて欲しい。
アニソンで80年代を意識した曲作りをしている作品ということでは、このあたりがはしりだと思う。
シンセの音、ボコーダー、そしてエレドラが80年代風。
さてアニソン業界で80年代風作品というと、他に右に出るものはいないと思われる不動のアーチストがある。
TECHNOBOYS PULCRAFT GREEN-FUNDだ。
センスのいい80年代テクノポップ風楽曲がアニソンで聴けたら、だいたい彼らが楽曲提供している。
以下がそうだ。
手を変え、品を変えいろいろなアプローチから80年代テクノポップアニソンを量産する彼らであるが、「この美術部には問題がある」のED曲でそのアレンジ技術が円熟の極みに達する。
圧倒的な完成度だ。確実に80年代風の手法を取りながら、楽曲からは2010年代の新しさが溢れている。
正直、これを聴かされたらMステで聴いたサカナクションの曲のアレンジはままごとだ(もちろんあちらはバンドであるし、自分らの守るべき作風もあるだろうから悪いことではない)
さて、最後に本物の80年代アニソンの衝撃カバーを紹介したい。
これを聴いて私は脳が溶けた。
聴くたびに脳が破壊されていくのを感じる。
おそろしい。
90年代の呪いとしてのマクロス⊿
マクロス⊿の底から溢れいずるもの。
それは90年代の呪いである。
最近ずっとそう思って、ワルキューレの2枚のアルバムを聴いている。
1クール目のED。
これを聴いた時、おっさんなら誰もが思ったはずだ。
あ、これSMAPのSHAKEだ、と。
あ、これパクリって言われて炎上するやつだ、と。
調べたら、作曲者が同じ。
なんだ。
作曲者が同じだったらパクってもいいのか。
ん?
いやでもそれってクリエイターとしてどうなの?
アニソンだからって舐められてるのか?
20年前の曲ならバレないと思ったのか? (そうなのだ、SHAKEは96年発売でかっきり20年前なのだ!)
SHAKEみたいな曲、お願いしますよセンセイみたいな発注だったのか?
当初うずまいたそんな数々の疑念。
やがてそれらは雲散霧消する。
我々は慣らされ、侵されていったのだ。
ルンピカビームに!
マクロス恒例の新歌姫オーディションで勝ち上がった新人声優、鈴木みのりはマクロスFでデビューした中島愛と同じ系統の声と歌声で、はからずもプロデューサーの女の好みを露呈させたのだが、中島愛にあった湿度があまりない。
カラッとしてるのだ。
しかしこの冬のからっ風のような湿度の低さは油断ならない。
「準備はいいんかねっ!?」
曲の冒頭でフレイア(CV:鈴木みのり)が我々の耳元で語りかける。
謎の訛りで語りかける。
何の準備が必要なのだ?
わからない。
謎の問いかけで混乱する我々をあざ笑うかのように軽快に曲は進む。
そしてサビ前でフレイアがまた再び耳元で語りかける。
「覚悟するんよっ!」
ああ、我々に必要だったのは覚悟だったのだ。
タイアップ狙いミエミエで5人に膨れ上がりユニット化したマクロスの歌姫を、あるがまま、受けいれる覚悟が……その準備が必要だったのだ。
そして、私は受け入れたしまった。
さて、この1クール目EDが象徴しているように、振り返ってみるとワルキューレの楽曲は90年代JPOPの呪いみたいなものがにじみ出ている。
マクロス⊿の唯一の名シーンといった場所で流れたこの曲も同様だ。
オリジナルが見つからなかったので、カバーを貼るが……
似てる。
このように、わりとダサめな90年代歌謡曲調のメロディを現代風にリファインさせてアニソン化しているのがワルキューレ楽曲なんじゃないか。
マクロス⊿はそれをさらに推し進めたのではないか、と思うのだ。
とすれば、おっさんとしては受けいれる他ない。
90年代の呪いといえば、アニメ本編のラストこそ、まさに90年代アニメの象徴、エヴァンゲリオンの呪いだった。
美雲が綾波のごとく巨大化して、ラスボス化したメガネが唐突に人類補完計画みたいなことをいいだしたのだ。
びっくりした。
まだこんなことをやっているのか。
おっさんは90年代の呪いから逃げられないのだ。
そんな思いを噛み締めつつ、ワルキューレの2枚のアルバムを今日もまた聴き返すのだった。